古い保育と新しい保育・・・あるのかな・・・

保育が古いか新しいかって、何を基準に考えるんでしょうねー

私(サ)が好きじゃない言葉はいろいろあるけれど(例えば「子どもが食いつく」って何!?子どもは魚か!と思ってしまうのです。「でっかい」もきれいではない表現だけど、ごく普通に使われつつあるみたいだし・・)、その中の一つが「昭和の保育」。

まるで馬鹿にしたように「昭和の保育」というけれど、でも、昭和の頃に頑張った保育士さんたちが沢山いて、今の保育に続いている。それは確かに今から見ると「?」ということも沢山あるし、変えていったほうが良いところはあるけれど、保育士さんたちが子どもたちのことを思って頑張っていた気持ちは、もしかしたら、今の若い保育士さんとは質自体が全く違うかもしれない。

確かに、思いを向ける方向が違っていたなーと思うことは多々あるけれど、それを、まるで嘲笑するかのように「昭和の保育」で済ましてしまうのはとってもとっても失礼なことなのではないかな…と思うのです。

積み重ねがあって、今がある。私たちが保育を変えていった方が良いのでは・・・・と思うに至った過程には、確実にその前の時代のたくさんの保育士さんたちの実践や経験があって、そこからの学びと気づきがある。

昭和の保育と言われる保育をしていた園や保育士さんたちが、今までとは違った保育を受け入れ、取り組む姿なんて、本当に頭が下がる。今まで自分が信じていたものをいったん壊し、新しく構築し直すのはものすごいエネルギーがいる。大げさではなく、自分の人生を振り返るような作業をする人たちもいるはずだ。

そして、自分たちの経験を活かしながら新しい保育観に取り組むと、今の時代に合った保育が現われていく。その中にはいい意味で昭和の保育が含まれている。

「ハンガリーの保育は古い」という人がいると「そういうあなたの情報自体が古いです」と苦笑したくなる。ハンガリーの保育と言っても、1800年代の終わりから今に至る保育のどこの時点をどう評価して、どの部分を指して「古い」と言うのか。今に至った過程やたくさんのハンガリーの保育関係者・専門家の努力に、ハンガリーの保育など全く知らない人によって「古い」の烙印が押されてしまうとは。

でも、よく分かっていない外国人に変な烙印を押されるのはともかく、日本の保育関係者に、それも、ここに至るまでの過程も分かっているはずの人たちに、保育界を支えてきた人たちが嘲笑されるような表現でひとくくりにされるのは、なんだかなーと思ってしまうのです。

一言で言われると、分かりやすいような気がしてしまう。でもねー、何でもそんなに単純じゃないですよ。

物事は単純化せずに、ちゃんと深く広く考えていきたいですねー。

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