幼児期の終わりまでに育ってほしい姿 ①

新しい保育所保育指針や次期学習指導要領の中に出てきた「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」

やっとこういったものが出てきたか、と思う半分、読めば読むほど、もやもやとした嫌な気持ちになるのはなぜだろう。何で、こんなに後味が悪いのだろうか…と考え続けている。

なんというのか、ここに書かれているのは「大人が見たい姿」であって、「シンプルにみられるべき子どもの発達」ではない。

社会生活とのかかわり

「家族を大切にしようとする気持ちを持ちつつ・・・・」これは子どもに求める姿だろうか。いろんな家庭環境で育っている子どもたちがいる。時には、家族から逃げなさい!と教えなければいけないこともある。その子どもたちにも「家族を大切に」を求めるのだろうか。

「いろいろな人と関わりながら・・・」いろいろな人と関われないとだめなのだろうか。いろいろな人と関われることが大切なのではなく、必要なのはいろいろな人と関わる方法、手段を身につけることではないだろうか。関わることが苦手でも、とりあえずの技術や最低限のマナーを身につけていること、そこをおさえなければ、単純に「いろいろな人と関われる愛想の良い子ども」を求めてしまうのではないだろうか。

「自分が役に立つ喜びを感じ・・・」役に立たないといけないのだろうか。そこに、ただいるだけじゃダメなのだろうか。役に立つって何だろう?手伝うこと?リーダーシップをとること?お花に水をあげること?お当番さんの仕事をしっかりとすること?

「地域に一層の親しみを持つようになる」大人は地域に親しみを持っているのだろうか。子どもたちが地域に親しみを感じられるように、ここで生きていきたいなと思えるような地域を作り出すのは大人側の課題ではないだろうか。地域社会を知ったり、文化と接して関心を持ったとしても、”親しみを持つ”かどうかは分からない。

自然とのかかわり・生命尊重

「・・・・・自然への愛情や畏敬の念を持つようになる」東京の、園庭もないような保育園では、飼育箱の中でカブトムシを飼って、カブトムシへの愛情と畏敬の念を育てるのだろうか。だいたいにして、自然への愛情って何だろう。自然て何だろう。どこからどこまでが自然で、それに対する愛情というのは何を指しているのだろう。

「身近にある動植物を命あるものとして心を動かし・・・」心が動かない子どもがいたら、どうするのだろう。だいたい、心が動くってどういうことなんだろう。「わ、かわいい ♪」と思ったら、心が動いたんだろうか??それなら「うわ、気持ちわるぅ」でも心が動いたことになる。

言葉による伝えあい

「言葉を通して先生や友達と心を通わせ・・・」心を通わせる…まずは大人同士でやってほしい。コミュニケーションをとるのと、心を通わせるは違うのだろうか。心を通わせないといけないのだろうか。なんで、”心を通わせ”なければいけないのだろう。

意味は分かる。言いたいことも分かる。でも、何かがとても空々しい。そして、押しつけがましい。

「親しむ」「楽しむ」「喜ぶ」という表現抜きで説明することはできないのだろうか。

心を動かさないといけない、楽しまないといけない、親しまないといけない‥‥なんだかとっても疲れる気がするのは私だけだろうか・・・。

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