18歳の誕生日


長男が18歳になった。ハンガリーでは18歳は成人。お酒も”堂々と”飲めるようになる。そして、犯罪を犯せば社会的責任も問われるようになる。

数年前、「18歳になったら家を出ていってやる!好きなことをするんだ!!」と叫んでいた長男も、18になってみると自由の気楽さよりも、自由であるが故の責任の重さの方を感じるようになっていた。

誕生日の二日前、「どこで誕生パーティー開こうかな…でも、うちでだとうるさいよね、庭なら良い?」ということで、準備が始まった。去年までは湖畔で”来たい奴は飲み物持って集まれ!”式でやっていたようだが、今年はメンバーをよりすぐったらしい(湖畔では、飲む口実さえあればいい若者がわんさか集まってくる。そして、毎週末、誰かしらの誕生パーティーがある)。

当日、いつもは昼まで・・下手すると夕方まで寝ているのに、朝から起きて買い物、テーブルセッティング、ライトとスピーカーの設置と黙々と準備をしていた。そして、夜8時、いつも話には登場するけど顔を見たことのなかった男女のメンバーがぞろぞろとやってきた(これは、なかなか興味深い眺めであった)。

誕生プレゼントを兼ねて皆が持ち寄った4ダースのビールはあっという間になくなり、山のようなソーセージがどんどん焼かれ、ワインやらウォッカの何とか割とか、白ワインのラズベリージュース割といった不思議な飲み物が登場してくるあたりから、音楽に合わせて歌い踊り、だんだんとにぎやかになっていった。隣近所にはあらかじめ「今日だけは我慢して下さい」とお願いしておいたが、思ったほど騒ぎではなく、見ているだけで楽しくなるような眺めで意外でもあった。そして、夜中の12時、みんなで一斉にハッピーバースデーの大合唱が始まった。親としては、これだけの友達に囲まれて18歳の誕生日を祝えたことに感無量だった。

まさか自分の子が…といった、想像もしていなかった宿題を突き付け続けてくれた長男だけど、そのたびに胸が引き裂かれる思いの中で考えさせられたことは、子どもと、そして、親としての自分達を信じることだった。

未熟な親だけれど、その時々の人生の中で、できる限りのことはしてきたつもりで、それがたとえ十分でなかったとしても間違っていたとしても、今更修正することはできない。子どもに伝えられるのは、お母さんもお父さんも、生きることにも、子どもを育てるのにも、その時々の自分たちなりに一生懸命だったんだよ、ということだけだ。

14歳から大変身して、親から強引に自立していって4年。18歳になる半年前頃から、だんだんと顔が小さい頃の雰囲気に戻っていった。無理矢理、親と自分を引き離す必要がなくなり、力が抜けたのだろうか。

思春期真っ最中の二男との格闘を終え、そのうちやってくる三男のそれも乗り越えたころ、私たち親も赤ちゃんだった子ども達に向けていた優しい表情になっているのだろうか。

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