清潔感 その② 手洗い

コロナが騒がれ始めてからというもの、手洗いが最大の感染から身を守る手段だということは急速に周知されていきましたね。

担当制を導入して、0歳から手洗いを行っている園にとっては、子どもたちに手洗いを教えることは特別な事でもなかったはず。乳児から幼児まで積み重ねて行けていれば、幼児になってもごく自然に爪の先、手首、親指の付け根まで洗っている。もちろん、手を濡らす―石鹸をつける―よくこするー洗い流す―手をふく…という流れも行っている。大人が見ていなくても!(ここがポイント)

私たちが子どもたちに手洗いを教えている目的が、今回のことで良くよく分かったのではないだろうか?

そう、子ども自身が、自分で身を守れるようになるため。

手洗いを乳児期からきちんとしていれば、私たちはとってもとっても大切なことを子どもたちに伝えられたことになる。でも、手洗いを教えてこなかった子たちに、「きちんとした手洗い」が習慣化されていない子たちに大きくなってから教えるというのはなかなか大変ですよ~。

今までも「手洗い・うがい」はセットで言われてきたけれど、洗面所に「手洗いのうた」が貼ってあるぐらいの軽さで手洗いは考えられていたと思う。

うたを歌いながら洗うことで手洗いが楽しく身につくはず…ということなのだろうとは思う。でも、例えばコロナのことを思いながら手を洗うと、かなりきちんと細かいところまで気をつけながら洗うことになる。手の先も洗っておこう、手首も…と今までだとさっと洗っていたところも意識する。

歌いながらの場合、手は動くかもしれないけれど、歌と手を動かすことがメインになり、本来の目的とは違ってくる。特に小さな子の場合、大人がうたを歌って手の動きを見せるのを真似していたら、どこを洗っているのか、どうやって洗うべきなのかは身につかない(手遊び感覚の動きは身につくけれど)。

特に乳児の子どもたちは、新しいことを一生懸命覚えようとしている。そこにうたなど入ったら、そもそも気が散って混乱してしまう。

歌いながら!が楽しいのではなく、大人が丁寧に「石鹸が泡だったね」「ごしごしよくこすってね、ほら、手がきれいになったよ」「水で洗い流そうね、泡が落ちていくよ!」と優しく声をかけてもらったほうが、子どもたちにとっては心が温かくなるような嬉しさを感じるのではないだろうか。こっちの方が大切ではないだろうか。

そんな時間を日に何回か経験できたら、手洗いは、子どもたちにとって「しなければいけない面倒なこと」ではなく、自分の大好きな人が教えてくれたとても大切なこと、としても身についていくのではないだろうか。

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