育てる人を育てる

ハンガリー研修には、必ずオペラハウスでの観劇が入っている。その時々で演目が違うので、オペラだったり、バレーだったり…今年の私保連の研修ではプッチーニの「蝶々夫人」で、12月の研修グループは12月恒例の「くるみ割り人形」のバレーだった。一月のグループは、これも年末年始に欠かせない演目、ヨハンシュトラウスの「こうもり」。2月の研修は「ファウスト」、5月はバレー「オネーギン」。

どの舞台を見ても思うのは、素晴らしいバレリーナ―が一人いても、この全体のすばらしさは出せない、ということ。舞台に関わるすべてのレベルが高く、そして、協働することができて、初めて、全体が調和のとれた素晴らしさになる。

観客。心から見たくて来た人たちなのか(ただ、何となく見に来た人たちなのか)、聞くマナーを心得ている人たちなのか。良さが分かる人たちか(拍手の仕方が違ってくる)。

舞台と観客とが一致した時の、劇場全体に流れる空気は本当に素晴らしい。そして、今年のくるみ割り人形は、今まで見た中でも一番素晴らしかった。

ここでいつも思うのは、これは、何十年もかけてたくさんの専門家と芸術に関心を持つたくさんの市民を育ててきた結果なんだなーということ。そして、国が、その分野の専門家たちが、その育てる専門家を育て続けてこなければ、今、私はここで感動することができていないということ。

サッカーを見ていても思う。本当に強いチームは、ぜんぜん関心のない私でさえ感心して見続けてしまうぐらいプレーがきれいだ。全体の動き、チームワーク、個々のプレーのレベル、すべてが整理されていて分かりやすく、そして、一人ひとりの技術がしっかりしている。いい選手が一人いるから強いわけではない。

スペインのサッカーが強いのだって、いつからか始めたプロジェクトの成果が今出ているからなのだろう。

教育には時間がかかる。そして、お金もかかる。でも、それは必ず成果につながる。人間一般の教育の場合、はっきりと目には見えない成果かもしれないけれど、でも、社会全体を考えた時には、とっても大切な成果なはずだ。

バレーやサッカーを見て、見ている人たちと一緒に「楽しかったね」「幸せな時間だったね」と感じあうことができれば、それだって、目には見えないつながりだ。それが、人によっては絵画だったり、映画だったり、ロックだったり、自然だったり・・・

素晴らしいな・・・と思えるものを作りだせる人が社会にたくさんいたら、社会はきっとよくなる。居心地がいいなと感じる人が、きっと増えていく。

そして、そんな人たちがまだ、自分が何を好きで、何が得意なのかも分からない時に関わっているのが、保育園だ。たくさんのことにオープンになれるように、たくさんのことに関心を持てるように、自分にも何かできそうだなー、作りだせそうだなーと思えるように、基本の基本の部分と関わる場所。

日本の大きな課題は、そんな保育園で働く保育士を育てられる専門家を、まずは育てること・・・10年以上はかかるでしょうね・・・。

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