主体性って何だろう??

「子どもの主体性を尊重する」

よく聞く言葉だけど、 主体性を尊重されたことのない人たち、主体性を尊重する大人の関わりを身近にみてこなかった人達にとっては、「主体性の尊重」と「何をどこまで」はたぶんかなり難しい。

主体性を尊重しようと子どもと関わった時によくあるパターン

パターン① 子どもに振り回され、結果的には子どもの主体性が育たない。

パターン② 子どもが主人公で、大人はまるでお手伝いさんのような存在になり、大人の役割が果たせなくなる。

パターン③ 子どもの主体性を尊重するという名目で、子どもへの負担が多くなってしまう。

パターン④ 主体性を尊重しているという名の放任・無秩序が生まれる

パターン① 子どもに振り回され、結果的には子どもの主体性が育たない。

特に乳児の育児(生活)面でよく見られるのが・・・

「今日はどっちの服を着る?」

「今トイレに行きたくないの?後からにする?」(←さっと誘ってしまえばどうということのない場面なのに、大人の方が変に確認してしまう場合)

「今日はこれ食べる?それとも、ちょっとにしておく?」・・・

何でもかんでも子どもに聞くことで、子どもの意志を尊重している、つまり、子どもが主体的に考えて判断できるようになると思うのだろうが、何でもかんでも聞かれるというのは実はとても大変だ。子どもにとってはさっさと決めてもらった方が助かる場面もたくさんある。

「今日は暑いからこの半袖にしておこうね」

「もうすぐご飯だから、トイレに行っておこうね。このおもちゃは○○先生に見ておいてもらおう」

「今日はかぼちゃの煮物だよ。今が旬だから甘くておいしいよ。好きかな?味見してみてね」

大人が決めるけれど、それに対する子どもの反応はちゃんと見て、必要であれば融通をきかせていく。ここで勘違いした対応をすると、子どももどうでも良いことにこだわるようになり、大人も子どももどうしたらいいか分からなくなってしまう。これは本当によくあるパターン。

パターン② 子どもが主人公で、大人はまるでお手伝いさんのような存在になり、大人の役割が果たせなくなる。

特に幼児クラスになると増えてくるパターン。子どもが主体ということで、子どもが何でも決め、子どもが主人公・・・そして、大人はまるでお手伝いのように見ている。

クラスでの大人の位置があいまいになり、大人は子どもとの関わり方が分からなくなってしまう。

パターン③ 子どもの主体性を尊重するという名目で、子どもへの負担が多くなってしまう

これも幼児になるとよく見られる。

時と場合によっては子どもが決めるのは大切だけれど、決められないこともあるし、大人が決めなければいけないこともある。

何かを決めるということは、それに対する責任も負うということ。つまり、子どもに決めさせたら、その責任は子どもが負うことにもなる。子どもが、自分で考えてその行動の結果を知ることは大切だけれど、年齢不相応のプレッシャーを感じないようにするのは大人の役割だ。

「あなたたちが決めたんだよ」「自分で決めたことはちゃんと最後までやりなさい」「言い訳しないの!」

自分で決められないことが多いかと思うと(どんな絵を描きたいか、何をして遊びたいか、どんな風にあそびたいか、誰とご飯を食べたいか・・)、一方では極端に責任を持たされ、責められる場面が多くないだろうか?

主体的に考え、行動できるようになるためには、大人の翼の下で、何かあればちゃんと助けてもらえると感じながら、子どもが自分で決めること、試すことを、いろいろなパターンで経験できる場が必要だ。

パターン④ 主体性を尊重しているという名の放任・無秩序が生まれる

主体性と好きなことを好きなようになんでもしていいというのは違う。

主体性は、やみくもに自己主張するのとも違う。

「リーダーシップをとれる人=声の大きい人」ではなく、全体を見渡しながら状況判断ができ、問題解決能力があり、アイデアを持っており、かつ、自分の考えを相手に分かりやすく伝えることができる・・・というように、一つの概念には様々なことが含まれている。

「主体性」を育てたいと思うなら、主体性とはいったい何なのかを考えなければいけない。

「子どもの意志を尊重し、主体性を尊重する」という大人は、保育園という”教育の場”で自分がどういった目的で子どもと関わり、子どもの発達をどう援助していくのかという、保育士としての役割も忘れてはいけない。

子ども同士のトラブルも、解決の仕方が分からないのなら大人がさりげなく助言すれば「解決の仕方」を子どもも学ぶことができる。でも、「子どもの主体性を尊重して大人が介入しない」と、問題解決能力の育っていない子どもたちに任せることをしていると、シンプルだった問題が泥沼化していくことが多々ある。問題解決能力とは、泥沼化するトラブルを繰り返すことで育つのではなく逆効果でもあるのだが、どうもこの点を誤解している大人はたくさんいる。

響きがよく、分かりやすく、説得力のありそうな言葉は、さらっと通過してしまうので要注意だ。

まずは私たち自身が”主体的に”一つ一つの言葉と向き合って考えていきたい。

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