言葉を届かせるために・・

若者たちに、「出歩かないでほしい、自分たちが感染を広げるかもしれないことを自覚してほしい・・・」と、テレビなどでも言い始めましたね。でも、そもそも、そういうテレビを若者たちは見ていないと思う。

そして、見ていたとしても、大人たちの声が若者たちに届くとはあまり思えない。大人達の話を、聞きたい、耳を傾けたいと積極的に思うとは・・どうも思えない。

なぜって、生まれてこの方、日本の子どもたちは大人たちの心のこもらない、どうでもいい、面白くない話をさんざん聞かされながら育っているからだ(そして、大人になってからも聞かされている。多くの会議がどれだけつまらないか、無駄な時間かを思いだしても分かると思う)。

個人的に知り合いのおじさんやおばさんが面白い人だった、話していて楽しかった、ということはもちろんあると思う。でも、特に正式な場面での大人の話は、主役が子どもであるにもかかわらず、保護者や来賓に向けてであったりする。一体誰に向けての話なのかも分からない。その人が本当に伝えたいことがその人の人格と共に伝わってくる…なんて経験をした人はあまりいないのでは・・と思う。だから、正式な立場の人たちの、正式な話を聞こうという習慣がないどころか、どちらかというと拒否反応を起こすように思う。(…そんなことないですか??)

小さいときは、信頼できる大人が、自分に向けて言葉を発してくれるからキャッチできる。それは、自分にとって大切なことだし、大人が教えてくれたことを行うと、自分が何かを上手にできたりするから聞こうと思える。(逆に言えば、乳児は、自分に向けられた内容でなければキャッチできない。自分と関係ないことを言われても理解できない。)

もう少し大きくなると、信頼できる大人が”自分たち”に向けた、自分たちに関係する言葉をキャッチできるようになる。一緒に聞いて、一緒に理解して、一緒に何かをすることができるようになる。幼児や小学校低学年。

もっと大きくなると、自分たちに直接関係のないようなちょっと広い世界のことも理解できるようになる。それまでに、大人たちが自分たちの為になることを教えてくれて、自分たちのことを考えて教えてくれてるんだと感じていれば、そして、それを多少なりとも自分が信頼したいと思えるような大人が伝えてくれるなら、ちょっと難しいことでも理解しようと努力する。(小学校高学年~)

それより大きくなると、例え、その大人がどういう人であろうとも(個人的な感情のつながりは弱かったとしても)、大切なことを言っているのであれば理解してキャッチしようと努力するようになる。そして、その大人の言っている内容が正しいのかどうかは、自分でも判断しようとするようになる。(高校~)

あくまでも私(サ)の考えですが。

こういう、大人の発する言葉と子どもとの関係の積み重ねがあることで、そこそこの年齢になった時に、テレビなどで政治家や研究者が発する言葉を、自分なりにキャッチし、客観的に考え、自分なりに判断する下地が育っていくのでは…と思う。

「黙って座って聞いていなさい」という形では子どもたちは聞くことを学ばない。

子どもたちの頭の上を漂う自分と無関係な言葉を、子ども自身がキャッチすることはできない。

「若者たちが…」と嘆く前に、そんな若者を育ててきたのが自分たちなのだと、あえて考えてほしいなーと思うのです。

それに!若者にそんなこと言っていたって、大人が出歩いていたら説得力ないですねー。言動の不一致。これも言葉への信頼をなくす大きな要因ですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

前の記事

2020年 おたより春号