今日の私の宿題

実は、わたし(Sz)にも宿題が出される。

くるみのメンバーから「これについて書いて」というのが届く。それも変な時間に!夜中とか朝方とか(^^;

今出されているお題は「コロナと保育の基本」

・・・難しいなー。

一番わかりやすいのは、「見通しを持てることの大切さ」「見通しが持てるとどれだけ安心か」ということだろうか。

日課を作り、毎日同じように繰り返される生活があると、見通しが持ちやすい。時間の感覚のまだ育っていない子どもたちにとって、時計を見せて「この時間になったらね」というのはあまり意味がない。でも、「外あそびが終わったらね」「ご飯を食べたらね」と実際に行うこととつなげてあげると理解ができる。それが同じように毎日繰り返されていれば、だんだんと自分なりに見通しを持って、自分の行動を、今自分がどうしたらいいのかを考えられるようになる。

今は、日本中(世界中)の人が見通しの持てない生活をしている。自分がいつまで、どうしたらいいのか、何をしていたらいいのかが分からない。今自分がしていることが合っているのかどうかも分からない。どの状態になったら何が起こるのかも分からない。

上の人たちが今日は何を言うのかなーというのをひたすら待っている状態は、「先生ぼくたち今から何したらいいの?外行くの?それとも、今日は何するの?」と先生の気持ち次第で毎日が変わる、日課のない生活に似ていないだろうか。

結局、見通しがもてないから適当に過ごすしかない。そして、だんだん嫌になって、中にはふざけ始めたり、自分なりの判断行動をしたり、やけくそになったりして…怒られる。注意される。

なんだか似てませんか?

もう一つ、保育とつなげて考えた時に似てるなと思うのは、判断の優先順位のおかしさ。

国が、何よりも守らなければいけないのは、国民の命。一人でも少ない人が命を落とさないでいいように、それは、感染した人だけでなく、生活苦から命を落とす人がでないようにすること。これは、もう何にもまして大切な事のはずだ。命より大切なものはない。でも、国の対応からはそれが感じられない。ぶれる。

保育で一番大切なことは何だろう。子どもたちの安全を守る事、そして、子ども達の発達を保障すること。なのに、これが徹底できない。普段もできていない。だから、今、こういう非常事態になるともっとできない。ぶれる。

保育園・幼稚園・子ども園は、子どもたちの発達を保障する場所だ。もし、例え、休園要請が出ていて子どもたちが登園できなかったとしても、私たちは子どもたちの発達を保障しなければならない。子どもたちの発達(運動発達、言語発達、知的発達、社会性、情緒面・・・)をできる限り援助していかなければいけない。いつ何時も、保育関係者であるからには、常に頭に置いていないといけない。これは、基本の基本の基本!!

でも、今自宅で待機している子どもたちの”発達の保障”を真剣に考えて必死になっている園って、どれぐらいあるのだろう。

きっと、コロナがおさまった頃に「生きるための力」とか、お決まりの保育界の流行り言葉が生まれるだろうなと思う。

子どもたちの「生きるための力」を育てたかったら、今できることを見極めて、保育者として必死になる。

そのためにのアイデアを、くるみは必死で提供する・・・頑張ります!

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