待機児解消とは言うけれど・・・
あの子達はどこ行ったのかしら?
まだ何にも分からない、小さなあの子達、どこにいるの?
さて、これは誰のことだろう・・・
94歳の祖母はときどき過去にワープする。亡くなった祖父のことはよく探していたが、小さな子とは・・・
ほら、小さい子、二人いるでしょ。まだぼんやりしていて、いろんなことが分からない子達よ。Mちゃんとか・・・
Mちゃん(私)とKくん(弟)のこと?私がMだよ、ここにいるよ。
あら、あなたは大きいから私よりもしっかりしているでしょ。あなたがいるなら、ちゃんと見ていてあげないと。MちゃんとK君はとても小さいのよ、どこか行っちゃったら困るから、ちゃんと見ていてあげてね。
あの子達は二階でお昼寝しているよ。
小さくてもね、たくさん話してあげてね。たくさん話さないと、頭がぼんやりしたままになっちゃうの。たくさん話も聞いてあげてね、そうしたら、小さくてもちゃんと分かるのよ。
いろんな人がいるのもダメ。小さい子はね、いろんな人が言うと分からなくなっちゃうの。同じ人が言えば、ちゃんと分かるのよ。
・・・なんと、担当制はなぜ大切か?と説明している内容、そのままではないか。
過去にワープして、ちょっと普通ではない状態の祖母から、まさかこんな話を聞かされるとは思ってもいなかった。
でも、考えてみれば、子どもを一人の人間として見ていれば当たり前のことばかりだ。
・・・
私は少し大きくなって、聖母マリア様の話を聞いたとき、マリア様は祖母と似ているのだろうなと思った。それくらい、祖母は優しかった。
今になって、どうして優しいと感じたのか考えてみると、自分の状況に必要なことをきちんと”丁寧に”してくれたからだったのだろうと思い当たる。思い出してみても、祖母に急がされたことや雑に扱われたことは一度もなかった。かと言って、盲目的に優しかったというのとも違う。べたべた、ゆらゆらした甘さはない人だった。
怒られた記憶もない。だから優しい人だと思っていたけれど、今日、思い当たった。それは、話を聞いてくれ、ちゃんと説明してくれていたからだ。この子は何が分からないのだろう?どうしてこうするのだろう?と思いながら接していたので、怒るところに至らなかったのかもしれない。
介護が必要で、一人では生活できない祖母を、みんなとても大切にしている。それは祖母が家族を大切にしてきたからなのだろう。何か失敗したとしても、祖母に声を荒立てようなどとはとても思えない。
待機児解消と叫ばれて、中途半端な、保育園ともいえない施設が急ピッチで開園し続けている。子どもと関わる力などない人たちでも、だれでも、保育者として雇ってもらえる。つまり、大切にされているとはとても思えない環境で育つ子どもたちが急増している。
この子達は、お年寄りを…いや、子どもたちを大切にする大人になるだろうか・・・人間が大切にされる社会を作ろうと思える人間に育つだろうか…答えは見えてしまっているような気がしている。
待機児解消、女性の社会進出・・・この言葉を目に、耳にするたびに、日本の保育の現場がどうなっているのかを、子どもたちが一日どう過ごしているかを本当に把握している人が、本当にいるのだろうかと、考えてしまう。