台所あそびの”食材”を考える

台所あそびというと、「食材がたくさんないと!」と思いがちだけど、本当だろうか?

子どもたちが台所であそばない → 食材を増やした方が良い と言われたことはないだろうか?でも、それも本当だろうか?


このクラスは、他にも食材がないこともないのだけれど、子どもたちがよく使うのは、このウサギとアヒル、そして、魚。数の課業用の道具だ。

イスをぐるっと並べて、マットを敷いたおうち。ここでの料理も、同じ道具。

〝料理〝といっても、それ自体が目的でないこともある。遊びの中でさっさと作って、さっさと食べて次の流れに向かうこともあるし、料理自体が目的になってじっくりと何かしていることもある。前の写真はその例。料理を作り始めたら、お玉で食材を運ぶことが目的となった、典型的な三歳児のあそび。

この4歳の子のあそびは家を作ること、そこで、一人で過ごすことが目的で、料理は家のシンボル的な現れ。この時の行為はどちらかというと練習あそび的でもある。でも、もしここにお客が来たら、きれいに並べたり、食器を持ってきたりするのかもしれない。

どちらのあそびが高度とは言えない。

きれいに料理をしたり、見栄え良く盛り付けることが〝良い遊び〝 〝より発達したあそび〝と思われがちだけど、それはちがう。その時に、その子が自分に必要な遊びをしているのが一番大切なことだからだ。

何となく、目に入った箱と食材を並べ始めた5歳児。何を作っているの?と聞けば「ケーキ」というだろう。

このクラスではよくこの箱でケーキを作っている。でも、彼女の目的はケーキを作ることではないはずだ。何ということのない道具で生み出せるリズム、そのリズムが生み出す美しさをただただ楽しんでいる。こうなると、構成あそびになってくる。(もちろんこれは全く問題ではない)

箱にきれいにならび終えたところで、「あ、そういえばケーキだった」と思いだしたようだった。

道具があることで、確かに遊びは発展しやすくなる。その道具がアイデアを提供してくれるからだ。でも、それが台所の食材である時、ありすぎて遊べなくなることもある。

または、台所の食材が多くなると、台所でのあそびのメインが構成あそびになってくることがある。見栄えの良い構成あそびは、まるでとてもよい役割あそびをしているかのような錯覚を起こさせることもある。それ自体も問題ではない。子どもが楽しんで台所で構成あそびをしているのなら、それを通して発達しているからだ。

問題になってくるのは、大人がそのあたりの違いを見分けられずに遊びや子どもを判断する時だろう。

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