それ、本当?⑧ マニュアル
「マニュアルはあったほうが良いですか?」とよく聞かれる。
特に、職員の入れ替わりの激しい昨今、もしくは、若い保育士がたくさん入ってきたとき、新しい園を立ち上げた時、一日でも早く職員に動きを覚えてほしい園は「マニュアルがあったほうが早いのでは…」と思うのだろう。
でも、マニュアルというのは、そもそも何だろう?
使い方が分からない、方法が分からないときには、マニュアルがあると便利だ(セキュリティーの解除、大型洗濯機の使い方・・・)。みんなで、同じようにしないと困る事柄にも、マニュアルはあったほうが良い(非常事態の対応、掃除の仕方、給食が保育室まで運ばれる衛生的な手順・・・)。
でも、子どもは使うものでもないし、扱う方法があるものでもない。関わるときに守らなければいけないことはあるけれど、マニュアル通りに保育をするのは、果たして保育なのか??と思うぐらいに違和感がある。
子どもには、いろいろなことを覚えてほしいし、学んでほしい。
「手洗いで必ず身につけてほしいながれ」「着脱の仕方」「食事のマナー」「鼻が出たらかむ」…これは、子どもたちの発達や理解度に合わせて保育士が伝え続けるべきことで、園やクラスの状態によっては大人同士での解釈やポイントが同じになるように詳しく書き出しておいたほうが良い。でも、マニュアルではない!!
「登園時の約束事(大人やクラスの子どもに挨拶をする、など)」「遊びの中での約束事」「園庭での約束事」・・・と、これも大人どうして丁寧に確認しておかなければいけない内容だが、これもマニュアルではない。「約束事」だ。
外に出るときに大人がどう動くか、食事の段取りと手順は…これは、「大人の仕事の手順」。これも、マニュアルとは違う。
マニュアルを作って保育をすると、一見、すぐに形ができる。でも、いつまでたっても保育士は育たない。何のために行っているのかを考える余地がなくなるし、一人一人に合わせて言葉がけや援助の仕方を変えていく必要があることが後回しになるからだ。
園の上の立場の人も、マニュアルと保育を照らし合わせてのチェックをするようになる。
そして、そういったことの結果として応用が利かなくなるし、自分の園の条件に合わせて考え続ける、必要に合わせて変化させていくといった保育の創造性に欠けてしまう。
“マニュアル”自体が問題なのではなく、そこに何を含めてしまうのかが問題なのだ。
簡単に一つの言葉にくくってしまうのではなく、同じくくりなっているように思えるものも、ぜひ、一度、ときほどいて考えてみよう。