原因は違うかも

どんな場面か分かりますか? 子どものあそびって楽しいですね~♪

左の肩から背中にかけてが痛いので、実家の近くの整体に行った。

その先生に説明する間もなく、ちょっと立ってくださいね、手をあげて、首まげて・・・はは・・・右側の肩甲骨がカギですね、といわれた。

右ですか、右の背中は痛いと思ったこともない・・・とあちこち押されると、痛いこと痛いこと。結局は、右側をかばって、左ががんばっていた・・・ついでに首の方も・・・とこの30年ぐらいの私の身体の謎が解けていくのだが、なにしろ、先生の筋肉や骨の解説が面白い。

そして、「症状として出ているところの根本的な原因を探さないと治らないんですよねー。でも、それって方法を覚えれば自分でもなおせるんですよ、ちょっと動きを覚えましょうか」というあたりが、保育とも通じるところがあり、だから、全体を見て原因を探す力が必要だし、自分たちで解決していける方法を教えることが大切なんだなー、これはすべてに通じているのだろうなーと、一人で納得している。

「マッサージとか指圧とか、整体とか、いろいろありますよねー」と聞いてみると「しっかりと診ることができれば、それをなおすやり方はいろいろあっていいと思うんですよ。みれるかどうかが肝心です」

これも、まさに、保育に通じる。

「子どもが走りまわるんです」「言いつけが多いのです」「いやいやが多くて」・・・

いろいろな保育の悩みは、そのことだけの対応を考えても、根本的な解決方法にはつながらない。生活の流れや環境、大人の配置などなど、全体を考えてみると、意外なところに原因があったりする。

こっちの筋肉が痛い、と思っていたけれど、実は全然違うところの骨が原因だった、みたいな話だ。

そして、いろいろな保育の方法があっていいと思う。肝心なのは、子どもの人権が守られていることと、卒園するまでにしっかりと、必要な発達に子どもたちが至っていることだ。

でも、”卒園時に必要な発達”の解釈が、国のレベルで曖昧な場合はどうしたらいいのでしょうね。

骨は筋肉の仕組みには基本があるように、発達にだって一定の基本がある。それがあってはじめて、そこから少し違った発達やすすんでいたり、おくれていたり・・・があり、それをどう見ていくか、どう援助していくかと考えることになると思うのだけれど・・・日本では、まだまだそこに至る道のりは遠そうですね・・。

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