何のために・・・(毎日体操・続)
日本でごく一般的に行われている、幼児の最終目標といった感のある、跳び箱や鉄棒は、いったい何のために練習しているのだろう??
運動会でよくあるリレーや組体操も、それまでの練習量を考えれば、子どもたちが身につけることとして取り組んでいると考えられるのだけれども、これの目的も何なのだろう?
「練習すればできる」ということと、子どもにとって必要な動きなのかどうか、今、その年齢で練習しなければいけないことなのか、はきちんと考えないといけない。練習してできるようになったとしても、それがのちの弊害になることもある。
保育園がするべきことは、基本を育てること。
子ども達が、後に何らかのスポーツ分野を選ぶと考えると、どんなスポーツの分野に進んだとしても基本的な動きが身についており、運動の調和がとれており、基本的な筋力やしなやかさが身についていること、そして、障害となるような無駄な動きが身についておらず、かつ、緊張せずに取り組めることはとても大切になってくる。
子ども達にいろいろな動きを提供することで、大人はここの得意な分野に気がつくことができる。走ること、飛ぶこと、ボールを扱うこと、瞬発力、俊敏性、筋力、しなやかな動き、リズム感・・・・すべて、後々違った分野のスポーツにつながっていく。
見ている大人だけでなく、子どもたち自信も自分の好きな動きを知ることができる。
それを考えると、跳び箱を跳ぶことと、鉄棒をまわれることは、いったいどこにつながるのだろう??
この二つがどれだけの動きのコンビネーションでなりたっていて、それらを一つ一つ教えていくためにはどういった動きの練習が必要なのか、そういったことも考えての「やっぱり跳び箱!」「鉄棒!」なのだろうか??
ハンガリーの幼児保育園では次のような運動場面が考えられている。
ー園庭での外遊び
ー室内での運動あそび(保育室でも身体が動かせるような工夫がされている)
ー一週間に一回の体操の課業
ー毎日の短い体操
日本で一般的に行われている保育園での運動とハンガリーの体操を比べた時の、決定的な違いはその「目的」だ。
ハンガリーの毎日体操は、基本的な動きのコンビネーションで組み立てられている。外でもたくさん遊び、室内でも動けるように工夫されており、一週間に一回の課業があっても、毎日短い時間の運動を入れることが以前にもまして必要となってきている。
しっかりと身体を動かさないと、知的にも心理的にも影響があるとは様々な研究者が発信しいているが、日本では園庭のない保育園が認可されるぐらい、運動発達は軽視されている。かと思うと異常に力が入れられてしまうのは、やはり運動の本来の意味が理解されていないからなのだろうなと思う。
身体をしっかりと動かすことで、課題のある子どもたちだけでなく、すべての子どもたちの人としての全面に働きかけられると考えると、もっともっと、運動発達、運動のあり方は真剣に、本気で考えないといけないと思う。
あと10年後、もしこのままいけば、知的にも身体的に問題があるわけでもないのに仕事のできない人たち、どこか不器用でコミュニケーション能力の低い人たちが今にもまして大量に社会に出てきて、いろいろな分野でミスの多い社会になるはず。
残念なことに、これは結構自信をもって言うことができるのです。