鹿のつの拾い
「そろそろ鹿の角が落ちているころだよ」
Tさんから連絡が入った。
「ひろうぞー!!」と張り切る三男。鹿の角ひろって、どうするのかなーと思いつつも、Mさん一家との森歩きはしたいので、参加することにする。
鹿の角は、枯れ枝とほとんど同じなので、まるで「ミッケ」の世界である。それが面白くて、真剣に探してみるが、どうやら先客に拾われたようである(鹿の角ひろいを楽しみに、この時期になると森歩きをする人たちがいるらしい)。
TさんのパートナーのMさんと森を歩くと、森が急に生き生きとし始める。だいたい、道なんて歩かない。え、そこ登るの!? まさか、ここ降りないよね??という場所をすすんでいく彼のうしろを、子どもたちは大喜びで、女性陣は黙々とついていく。
下から見ると垂直に見えるような急斜面も、Mさんはまるで山羊のようにひょいひょいと登っていく。子どもたちはその後を、よじ登ってはずるずると落ちてを繰り返し、必死についていく。崖ではなく、落ち葉でふかふかの地面なので危険ではない。でも、落ち葉があるゆえに一緒にずり落ちてしまうので、下から見ているとかなり笑える。女性陣は回り道でも”道”を歩くことにした。
森に横たわっていた大木は休憩所にもなり、そして、遊び場にもなる。
森の保育園て、こんな感じなのかなと思う。もし、大人が森の知識と経験をしっかりと持っており、子どもの年齢ごとの力を把握しており、「がんばれができる」「子どもは自分で学んでいく」的な放任ではなく、きちんと危険なども伝えることができ、何か起こった時の対処法も丁寧に教えることができるなら、そういう場も大切だと思う。
でも、とも思う。子どもたちが、乳幼児期にどれだけ沢山のことを経験し、学ぶ必要があるかを考えると、この森の環境だけで伝えられることにも限りがある。子どもたちが育っていく社会、求められることを考えると、すでに社会である程度適応できている大人の私たちが、それらをないがしろにすることはできない。
一人ひとりの個性や能力を考えた時、絵を描くことが大好きな子、細かな制作が得意な子、静かに遊ぶことを好む子、運動が苦手な子・…そういう子たちも、自分の好きな活動の中で時間を過ごせることは、自然の中で過ごすことが大好きな子たちが、森の中で思いっきり動けるのと同じくらい大切なはずだ。
保育園には、いろいろな家庭環境の、いろいろな性格の、いろいろな能力を持った子どもたちがやってくる。彼らが、園を通過してどのような社会で生きて行くようになるかも様々だ。どんな社会で生きて行くことになっても、そこで自分の居場所を見つけられ、自分を信じ、能動的に生きていける、そんな基本的な力をつけるのが保育園の役割なのではないだろうか。
鹿の角はもちろん見つからなかった。でも、「今度はクマねぎ採りね!」「その次はきのこ狩り!」というわけで、収穫はあまり関係ない、とにかく楽しいハイキングだったのでした。