一緒に考える

「あんたの心臓には毛が生えているのね」

母に言われた言葉だ。

私は、身の程知らずと思える仕事が来ても、引き受けてしまう。

でも、それは、身の程知らずで、自分の力加減が分かっていないからではない。

引き受ける理由その1、仕事をもらえるということは、とてもありがたいこと。何か理由があって、その仕事を考えてくれたのだろうから、それには答えるべき。…そして、自分の身の丈に合わない仕事というのは来ないものだ。

引き受ける理由その2、そのために必死に勉強しなければならない。つまり、一番、自分にとって勉強になる。

引き受ける理由その3、一緒に考えてくれる仲間・友人たちがいるから。

春先、それこそ身の程知らずに講演を引き受けてしまった。半年近く、後悔しなかった日はないというぐらい、頭の隅っこに、石のようにこのテーマが居座っている。

北海道で開かれるわらべ歌セミナー”さくらんちょ”からもらった、そのテーマとは

「~音楽教育を通して子どもたちに何を育てようとしているのか―ハンガリーの音楽教育から学べること~」

ハンガリー、教育 という、この二つのキーワードは私に関係あるかもしれないけれど、それが音楽に関係しているとなると話は別だ。あまりにも世界が違う。それでも、引き受けてしまった。その理由は・・・

1、普通の生活しているだけでも、ハンガリーでは音楽が当たり前のように身の周りにある。つまり、普通の人・家族にとっての視点から伝えられる・・・はず。

2、身の周りに、音楽に関係している人が、普通にたくさんいる。だから、彼らにも助けてもらえる・・・はず。

3、新しいテーマをもらうことで、自分の専門も深められる・・・はず。

“はず”ばかりで、とうとう夏も半分すぎてしまった。うかつなことに、夏にハンガリー人をつかまえるのは容易ではないということも忘れていた。

まいった、まいった…と思っていたところでコンタクトをとってみたのが、ハンガリー在住の日本人Mさんだった。

ハンガリーの、それも田舎に住んでいると、一人で考えることが多くなる。それは、外国に住む日本人としてハンガリーとのはざまで「?」と考えるようなことがあっても、それに対する答えを教えられる人などまずいないので、一人で考えるしかないからだ。夫に話したとしても「どうしてそのテーマが考える対象になるんだ?」と、考えているテーマ自体が意味不明らしい。

同じく田舎暮らしのMさんは、そんな、私の考える相手となってくれる、とっても貴重な存在。日本のこともハンガリーのことも客観視しながら、自分の生活や経験範囲から少し離れた視点で物事を考える力を持っている。自分の経験談から結論を引き出すのではなく、歴史や世界の地理まで視野に入れて考えているかのような意見は、答えではなく、考える材料を提供してくれる。

トルコとギリシャの旅行から帰ってきたばかりの彼女は、そこで見たことも交えて、一緒に考えてくれた。素人意見だけどね、と笑うけど、専門家だからいい視点を持っているとは限らない。専門家だから、視野が狭くなっていることは多々ある。どんな分野だって同じだ。

その他、うちに滞在していた若者もつかまえて、質問させてもらった。子どもたちも質問の対象になった。

「は、何その質問。民謡?別に歌えるよ、俺の友達だってみんな歌えるよ。何曲知っているかって?たくさん知っているよ。授業で?同じうた何回も歌ったから覚えているよ」

確かに、庭で子どもたちが集まってバーベキューかなんかしていて、盛り上がってくると、ハードロックの後に民謡を歌い始めたりする。いったいどういうつながりなんだか、さっぱりわからないけど、わらべ歌と民謡で育ったハンガリーの子どもたちの中では、あまり境界線というのはないのかもしれない。さすがコダーイの国だなと、感心してしまう。

そんなわけで、話す内容を考えることが楽しくなってきた。

夏の北海道、札幌。すでに空いているホテルがなくて、遠方の方の参加は難しいようですが、お近くの方は是非遊びにいらしてください。一緒に音楽教育について考えましょう!

8月2日、3日です。関心のある方は、くるみの木まで!

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