待機児解消とは言うけれど・・・ その2
待機児解消!の掛け声のもとに、中途半端な保育園がどんどんできている。
何が中途半端か。
保育士が一日8時間以上過ごす場所としての視点が全くないこともだが、それよりも、何よりも、子どもの発達を保障できるだけの空間がない!!
乳幼児期の子どもにとって、運動発達はすべての基本で、これはもうあとからでは取り返しがつかないくらい大切なものだ。苦労するのは子ども自身だし、結果、親も周りの大人も苦労することになる。そして、その子どもたちは社会に出ていく。
身体をしっかりと動かさなければ、基本的な発達が促されない。手のしっかり開きがなければ、手をしっかり開いて持つことだって危うくなる。持つことが危うければ、握ったり、つまんだり、物の形に手を合わせて持つことだって難しい。
ずりばいやハイハイがしっかりとできなければ、左右観もしっかり育たないし、バランス感覚だって悪くなる。バランス感覚の悪い子は何事にも慎重になり、そばに友だちが来ることだって怖くなる。つまり、仲間関係にも影響を及ぼしていく。
身体をしっかり動かさなければ、自分の身体が分からない。
自分の身体はすべての出発点だ。その出発点の自分の身体があいまいなのでは、対象もすべてがあいまいになる。自分と相手の領域も曖昧になる。物との距離の取り方も曖昧になる。
身体を動かすことが苦手では、相手に合わせて動くことができず、乳幼児期特有のとにかく一緒に動く楽しさ、を経験できない。もしくは、一緒に動きたくても、ぶつかったり、じゃまをしてしまったり・・・。
身体の不器用さ、動きのぎこちない人が社会に出たらどうなるだろう。職場で機転をきかせて動けるだろうか。例え単純作業でも、無駄に力を入れることなくこなせるだろうか。いくら子どもが好きでも、バランス感覚の悪い人は子どもの命を守れない。いくら大工仕事が好きでも、身体のこなしが悪ければ怒られてばかりだろう。自分自身が不安定な人が、不安定な人を受け入れられるだろうか。そんな人が、今以上に多くなったら・・・。
すべての基本は運動発達。
たくさんの、様々な運動をするだけでも、多くの学習障害は予防ができる。でも、今のままでは、本来なら問題のない子どもたちまでもが学習障害と判断されてしまうケースがすでに出てきているはずだ。
もし、今の子どもたちがいずれ社会を担っていく大人になるという認識が本当にあるのなら(どうも、そういう認識はないような気がしてならない)、そして、多少なりとも子どもの発達を学んだ人がトップのどこかにいるのなら、運動発達というただそれだけの視点から考えても「ちょっとどころか、これはかなりまずいのでは?」と思うはずなのですが、どうなのでしょうね??