大丈夫、いい保育士になる
ハンガリーの保育園を見ていて何に安心できるかと言うと、子どもが大切にされているということもだけれど、保育士が守られているなーと感じられるところだ。
制度的にとか、法律的にという意味ではなく、理不尽なことを求められたり、その時点での能力以上のことを求められて怒られたり、辱められたㇼ・・・ということがない。見学者が入っても、保育園は必ず保育士を守る立場、サポートする立場でいてくれる。
ほとんどの保育士は見学者が入ることで緊張するし、天候、子どもの様子によっては、普段とは違った様子になることがある。
このごろは世代交代で、新人の入っているクラスが多いこともあり、あらら…と見ていても苦笑してしまったり、部屋から出た方がいいかな・・・と迷うような状況になることも、”たまに”ある。それでも、園長も指導に入っている人も、そのことで保育士を責めることはない。
先日の研修では、病気明けの1歳児の子が泣き続けて、ご飯も食べたがらない・・・・担当の新人の保育士は、ただでさえ見学者が入って緊張しているのに子どもは泣くし、ご飯はひっくり返るし・・・で見ていても気の毒な状況になってしまった。
日本でだったら、きっと、保育の後で怒られるのではないかと思う。「どうして、あの時○○しなかったの?もう少し○○できたはずよ、ちゃんと考えなさい!」
でも、マイバ乳児保育園の副園長さんはこうコメントした。
「彼女はとても丁寧に子どもたちに関わっているし、保育自体には問題はない。ただ、経験がまだ少ないので、臨機応変に対応することができないだけ。いい保育士になるわよ」
これだから保育士が育つのだろう。
そういえば、職員間同士で、「ちょっと、何してんの!?もっとちゃんとやってよ!」という態度をお互いにとりあう、空気を作りだすということは、ほとんどない。これは、乳児を見ていても、幼児を見ていても、どこの保育園に行っても、程度の差はあれ、そう言えるだろう。
でも、日本では、一緒のクラスで働いている人に対しても、同じ学年で助け合う立場の者同士であっても、こういう指摘が多くないだろうか。
何でだろう?
みんなに合わせて、いつも一緒に、迷惑をかけないように・・・ということが、結果的には、相手の非を指摘し合うことになってしまうのだろうか?合わせられない人が悪い、一緒にできない人がいけない、迷惑をかける人はみんなの迷惑!
でも、社会全体・地球全体を見たら、合わせられない人の方が多いはずだ。一緒にできない人がいるのは当たり前だし、迷惑なんてお互いに多かれ少なかれかけあい乍ら生きている。
できていることは言葉にして伝えてあげる。できないことは分かるように教える。できないことを叱っても、何の意味もない。
相手が分からないことを一緒に考える。”考え方”を教える。自分が相手に学んでほしいことだけを一方的に伝えても、根本がずれてしまう。
してはいけないことははっきりと、どうしていけないのかを伝える。
相手の意見を尊重する。そして、自分の意見も伝える。
子どもに対しての関わり方は、そのまま、大人に対しての関わり方だろう。