鳴かないねこ

11月のある日、灰色の子ねこがやってきた。テラスと居間でにらめっこをしているうちに、とうとう根負けし、「ネコ」と名付けられた。

ネコは鳴かないねこだった。言いたいことがあればそばに来てじっと見つめる。そういう種類なのだろうと思っていた。

春が来て、まだ子ねこだと思っていたネコのお腹が大きくなり始めた時、私たち家族は学んだ。

「子どもはすぐにできる」

これは、子どもたちにとって一番の性教育だった。

ネコは立派な母ねこだった。子ねこたちに裏庭で木登りの仕方を教え、虫や鳥の取り方を教え、トイレの仕方を教え、そして、見知らぬ人が来ると子どもたちを避難させた。参りました、とこちらが頭を下げたくなった。

子ねこたちは、赤ん坊の時はか細く声を出していたが、少し大きくなると鳴かなくなった。

ある時、小さなとらねこがやってきた。足が細くて短く、後から心臓疾患があると分かったのだが、あまり動かない代わりによく鳴いた。にゃおにゃおとねこらしく鳴き、ねこらしく甘え、いつの間にかネコの家族の一員になっていた。

とらねこは、隣に座ると、まるでおしゃべりでもしているかのようににゃおにゃおいつまでも話していた。「ハイハイ」と返事をしながらとらねこと会話をしていて気がつくと、他のねこたちも鳴くようになっていた。おしゃべりなとらネコに、鳴くということを教えてもらっていたのだ。

親が教えられないことがある。親自身が知らないからだ。だからと言って、その親が親として欠けているわけではない。それは誰かが補ってあげればいいことなのだ。

子どもが育って行くように、親も子どもを育てながら育っていく。

私たち、しっかり育っているかしら?

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