行事…ダメ?必要?

あー、疲れちゃった!

園庭で1時間ぐらいあそんで入室してきた子どもたち。疲れたねー。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

8月の頭に行った園では、年長児が鉄棒の練習をしていた。

主任「運動会ありますからねー、少しずつ練習を・・・」

私「いつなんですか?」

主任「・・・・10月です」(言いながら苦笑)

私「・・・・二か月、これ毎日するんですか?」

主任「毎日じゃないけど・・・」

で、結局、年長の子どもたちは午前中いっぱい!!鉄棒の練習をしていた。

こんな光景を見るたびに、早々と人生が嫌になる子は出てこないのだろうか?と、真剣に思ってしまう。

運動会の練習をさせながら、見ながら、「あーいやだったなーこれ!」と思いだす大人、「子どもたちがかわいそう…」と思う人は絶対いると思うのに、なぜ今だに変わらないのでしょう??

鉄棒ができるために必要な発達などとても考えていないような若い保育士二人に叱咤激励されながら、できない子など半べそで、これがあと2か月続く!? (頑張ればできる!と、発達がきちんと備わっているから無理なくできるようになる、は別物で、日本ではここがかなり混同されている)

小学校の先生たちは、「鉄棒ができるようになってから入学してほしい」なんて絶対に、絶対に思っていないと思う。それよりも、自分で自分のことがきちんとできてほしい。コミュニケーションがとれるようになってきてほしい。状況判断ができてほしい。自ら関心を持ち活動に参加してほしい・・・そして、基本的な体力と体の育ちを身につけてきてほしいと思っているはず。

鉄棒の練習をしている間、鉄棒は一つしかなかったので、他の子は立っていた。これを体力をつけるとか忍耐力を育てるとか、仲間への思いやりを培う(できる過程を見守る)とか、子どもにとってははた迷惑な解釈をしながら保育を進めているのだろう。そして、こんな姿が見られるのは決してこの園だけではないはずで、「まあ、運動会前ですからねー」と、子どもと関わっている人たちの大半が仕方ない範囲として解釈する。

運動会前だったら運動系(と、鼓笛)、音楽会前だったら音楽系、生活発表会やら作品展前だったら演劇や制作系…つまり、すべての分野で子どもの発達とはあまり関係ないところで活動が進められ、まんべんなく苦手な分野、楽しくない分野を育てていることに…ならないでしょうか??

だったら、行事はいらない?

行事のない幼児クラスは、メリハリがなくなる。行事の為に何かを必死になって練習させることはなくても、得意なことをみんなに見てもらったり一緒に何かを作り上げる機会はあると良いと私(サライ)は思っている。その内容や方法を工夫して。

親も、園で何をしているのか分からなくなる。親に「子どもとは」を伝えたり、子どもとの関わり方、子どもとの過ごし方を知ってもらうには行事は大切な場で、でもそのためには、その目的に合わせて内容を考えなければいけない。

そもそも、「行事」という言葉の内容・解釈が間違っているのであって、まずはここをきちんと考える必要があるのだと思う。

一週間ほど前に、某国の建国記念か何かで軍隊の行進やら整列やらがありましたね。テレビで見た教育関係者の中で、保育園や学校での運動会光景とダブった人、どれだけいたでしょう。

乳幼児期の子どもたちに歩く練習、並ぶ練習、一緒に動く練習をさせて「一糸乱れず」に美を見出して大人が喜んでいる国って、アジア圏の他にもあるのでしょうかね・・・。

コメントを残す