子どもにどこまで聞く??
何ですかねー、この、子どもに意見を聞くという考え方、どうしましょう(^^;
小さな子に「おむつを替えてもいい?」って子どもに聞いた方が良いと思いますか?
私は聞かないで良いと思うんですよ。「おむつ替えようね」で十分。
だって、おむつは替えないといけないし、大人の責任としても子どもが快適な状態でいられるようにしていかないといけない。
それに、「今、あなたはおむつを替えた方が良いんだよ、その方が気持ちが良くなるからね。」もしくは、「今の状態はおむつを替えないといけない状態なの」を伝えている場面なので。
でも、無言で、一方的に替えるのではなくて、ちゃんと一言「おむつ替えようね」と言ってから子どもと排泄の場所に向かう。
子どもが歩けるなら子どもに歩いてもらうし、もし、まだ抱っこなら大人が手を差し出して、子どもの方が体をゆだねてくるのを待つ(ゆだねてくるのをずっと待ちましょう、という意味ではないですよ。一瞬の間をおいて子どもの反応を待ちましょう、それから抱き上げましょう、という意味です。)。
こういう、大人の責任として行わなければいけないことは確実にあるので、そこに関しては「私は今、あなたに対してこういうことをするよ」と伝えてから行うけれど、それ以外の、子どもたち自身が本当に選べる場面こそ、きちんと選べるように整えなければいけないと思うのです!!つまり、あそびの場面。
(子どもたちが安心して過ごせていて、年齢に合った遊具があれば、子どもたちは年齢相応のあそびをします。遊びを見るだけで、だいたいの月齢と発達が分かります。さて、この子は何歳だと思いますか?全部この子が作ったのかな?どこまでがこの子のあそびで、他の場面は何歳ぐらいの、どんな発達の子が作ったのかな?)
遊ぶための時間をしっかり確保し、各年齢・クラスの子どもたちの発達に合った遊具をきちんとそろえること。
大人の意識次第ですぐに変えられる言葉がけを丁寧に…と努力している園が多くなってきたのはとってもいいことで、何気なく恐ろしい言葉を発する保育士が多い日本の保育界ではある意味前進なのでしょうが、でも、本質的な保育の内容はまだまだ手をつけられていない園が大半なのではないかなーという印象です。
言葉がけは分かりやすいし、努力はしやすいので「丁寧な関わりをしているかどうか」の目安とされてしまいやすいけれど、そこで満足しないように(大人の自己満足になってしまう可能性も大)。
環境や大人の動き全体を視野に入れて本当の意味での、子どもたちが発達や人格を保障してもらえ、大切に関わってもらえる保育内容を深めていってほしいなーと思うのです。
(恐ろしい言葉がけの例「こんなことで泣かないの!!小学校に行ったら、もっと嫌なことを言う子いっぱいいるんだよ!!世の中そんなに甘くないの!!」・・・・信じられない…こんな恐ろしいことを子どもに言うなんて~~~人間不信になる子どもたちを育てている・・・と思ったら、「それ、保育園あるあるですよ」と。・・・・どーしましょう。どうしてこれが保育園あるあるになってしまうのか・・・頭がくらくらします。)