外国人の子ども達

クローズアップ現代で日本で育った外国人の子どもたちのことがとり上げられていた。

この手のテーマは私にとっては全く他人ごとではなく、番組に出てきた青年たちなど、自分の息子たちと重なってしまう。

もし、ハンガリーが”すべての子ども”の発達と教育を保障する、という視点を持った国でなければ、息子たちは現地の子どもたちよりも低いハンガリー語レベルのまま就学し、勉強を楽しめず、学校になじめずにドロップアウトしていたかもしれない。

親の努力だけではどうしようもないことがいくらでもあり、そして、子どもには何の責任もない。

「日本は覚悟しなければいけない」(外国人やその子どもたちのサポートに本腰を入れることを)

「受け入れるという発想ではなく、違う文化を共に作る、という発想の転換が必要だ」

番組の最後に、ゲストの方たちがこんな発言をされていたけれど、ちょっと何かがおかしい…というのか、やっぱりなというのか、どうして「すべての子どもたちには学ぶ権利がある」という話にならないのだろう。

そもそも、すべての子どもたちには学ぶ権利も、生きる権利も、幸せになる権利もあるという考えをしっかりとおさえなければ、結局は「外国人の子どもたちをどうするか」という話になってしまう。

そして、「外国人の子どもたちを…」という発想がある限り、不登校の問題も、虐待の問題も、特別例として考えられ、根本的な部分をどう解決していくのか、”日本にいるすべての子どもたち”が幸せに成長していける社会をどう作っていくのか、というところには辿り着けない気がする。

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