いつからの恒例?慣例?

毎年、オーストリアで催されるニューイヤーコンサートを聞かれている方もいるかと思います。

現地では午前11時から始まります。12月31日は夜中まで(朝方まで?)年越しのパーティーをしている家も多く、早く起きる人たちはあまりいないと思うのでちょうどいい時間帯です。

演奏の合間に拍手のないコンサート。でも、きっと演奏者たちは例年にも増して、世界中の、耳を澄ませてくれている人たちを思いながら、演奏してくれていたのではないでしょうか。

例年のコンサートだと、きっと大金をかけてあそこに座っているんだろうなーという人たちが画面にうつるので、どこか違う世界を感じながら聴いている気がするのですが、今年は、観客がいないせいか、ストレートに音楽が伝わってきたように思いました。演奏している人たちの気持ちも、どこか違っていたのではないかな・・・。

今年の指揮者のムーティ―さんは、毎年恒例の「ラデツキー行進曲」で観客の手拍子がないことをどう思うか?と聞かれたとき「でも、シュトラウスがこの曲を作った時も演奏した時も、手拍子はなかったんですよ」と言われたそう。たしかに!!

いつからか恒例のようになっただけのことで、もともとはなかった・・・。

あちこちの園で耳にする、うちの園の伝統、うちの園では恒例・慣例になっているからやめられない・・・・を思い出しました。いつ、だれが、どういうきっかけでそれを始めたのか・・・・を考えてみると、実はたいしたことでもなかったりして(^^; 周りがやっているから、うちもしないと!とか。

でも、必ず守りたい伝統的なこともありますね(季節ごとの、季節や天候と関わっているような行事…園の、大ごととなる行事ではなくて)。

コロナをチャンスに、何か変えられないかなーと思うのが、卒園式と入園式。

心から子どもたちを送り出せる卒園式を考える。ただでさえ、卒園と学校のプレッシャーで緊張し始めているというのに、そこに日々いろんな練習が加わり、そして、当日も、子どもたちが「来賓の皆様へのご挨拶」ばかりを聞かされるような会ではなく。

新入園児が緊張して泣きたくなるような入園式も検討し直してほしい。親も余所行きの服を着て緊張していて、子どもに伝わるのは周りの緊張感ばかり。誰も楽しくなくて、何の意味もない入園式。「ここに明日も着たいな」と思えるような親しみを園に感じるなんて、まず無理ですね。

何かしたいなら、親子で”普段着で”来てもらって一緒に遊ぶ時間にする、とか・・・。

でも、本当は、少人数で親子での慣らし保育を始めて、自然に園に慣れていくのが一番です。

せっかくの機会なので、子どもたち(それも、ほとんどの新入園児が小さい子たちばかり)のためにも、入園式は辞めてあげてほしいな…と思うのですが‥‥

 

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