日本は遠かった・・・

注:どうでもいい入国事情です!

もちろん、距離的には遠いのですが、今回は、コロナ関連の入国規制がより厳しくなっていて、ほーーーんとに大変です(現在進行形)。

空港のチェックインカウンターでの検査用紙やその他の書類へのチェックの厳しさは前回の10倍ぐらいになっていました。

まず、検査結果の記入での不備で飛行機に乗せてもらえず!!検査結果なんて専門機関にお願いしているから、一字一句確認なんてできないでしょう…と思ったけど、しないとダメらしいです(××

で、違う検査機関でPCR検査して、結果を待つために二日出国を遅らせて…それでもチェックインカウンターの女性が「うーん」と悩み始め。専門用語の違いらしいのですが、日本は厳格に言葉まで指定しているので、これでオッケーされるのかどうか…とりあえず、空港内のPCRセンターに行って「日本の指定する単語」を書き込んでもらってサインをもらって、それで出国はオッケーとすると言うことになりました。

日本は指定しているフォーマット(用紙)があるのですが、そんなものに記入してもらえる特別な病院に行けるのは首都部に住む一部の人たちだけだし、今はネットで検査結果が送られ来るようになっている・・・そこにこのフォーマットはあまり意味も持たないどころか、かえって事をややこしくさせる・・・という認識のずれにガックリ来ます。

そして、入国後のいつものいくつものカウンターでのチェック。このカウンターがますます増えていました(^^;

つまり、私が感染していたら、このカウンターの人たちみんなに広げる可能性があるということですね。

アプリ(四つぐらい)のインストールとその説明と起動するかどうかの確認と…だけでも三つぐらいのカウンターを回りました。これ、旅客1人に一人の担当者が最初から最後まで全部きちんと対応してくれた方がよほど早いし、効率的なのに‥‥これこそ、部分担当制!と思いました。個々に対応はしているけど、作業が細切れ。最初から担当制で対応してくれれば、相手の疲れ度とか理解度とか携帯機種に合わせて対応できるだろうに。

今回、家庭の事情があって帰国をせざるを得なかった特別対応の必要の方は、カウンターに移動するたびに事情を説明していて気の毒でした。

多分、ミスを避けるために何重にもチェックカウンターを設けているとは思うのですが、一人ひとりがきちんと仕事ができる、覚える!ということを前提にすれば、こちら側の負担はかなり減るのに・・・。そして、無駄な人の配置が減るのに。

一人の人が狭い分野だけを担当して、そこでのスペシャリスト(・・・・そこしか分からない人。つなげて考えられない人)になる…という感じは、他の場面でもある気がします。保育の場面でも。

入国して、いろいろなチェックとPCR検査を受け、荷物受け取りカウンターまでたどり着くのに3時間ぐらいかかりました。そして、そこからバスを待ち、指定のホテルに移動して、ここで三日間の隔離。再度のPCR検査で陰性だったらやっと帰宅です(で、その後、また自宅で11日間の隔離)。

(バスは、なぜかカーテンが閉められ、ビニールで内装がすべて覆われ、暗い中でホテルまで移動。なんだこれは、私たちは犯罪者か?と思うけど、ここに至るともうどうでもよくなってきている)

異変株を国に入れたくないのは分かるけど、でも、もう少し各国の感染状況やワクチン接種などの情報を迅速に収集して対応してもらえないかな・・・と強く思うのです。そして、これだけ何重にも検査をして、隔離され、大変な思いをして家族に会いに来たり、仕事をしている人たちがいるのに、国内は感染が騒がれている割には相当緩い(^^;  

なんだこのギャップは…と、海外帰国者は首を傾げつつ、何となくお手上げな感じで傍観している…というところなのではと言う気がします。

(ちなみに、ホテルのお弁当は悲しいくらい不味いです。三食無料なんだから文句言うなと言われるなら、お金払うからちゃんとしたご飯を食べたい、とかなりの人が思っているのでは・・・。コンビニ弁当が懐かしい。でも、たまたま同じ時期に帰国し、他のホテルに滞在している知り合いは「すごい豪華なお弁当!」と感激して写真まで送ってきてくれました。何でしょう、この差は。仕方ないので、ダイエット隔離だと思うことにしました。)

(書類に名前を付ける…これ大切ですね。「誓約書」など名前がついていれば、これのことだなとすぐ分かるのですが、特についていないとカウンターの人がみんな自分なりの違う呼び方をするので「赤い印のいっぱいある紙」「陰性証明書」「健康証明書」…そのたびに迷い、違う紙を出しては「それじゃない」と言われ・・・・疲れているので、余計に自分が無能なのかと落ち込みかけました)

(いろんなことに気が付いても、それを言うと「文句」ととられるのだろうな…と思うと言うのやめよう、となりますね。だから、いろんなことが改善もされないままになるのだろうなーと。保育にも当てはまります。個人の勝手な文句や苦情ではないものもあるので、気軽にそういうことを口に出せる雰囲気・環境って大切ですね)

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